何時だって、貴方は残酷に美しく俺を踏み越えていく。









朝露に解ける靄










「あ、ふ。」

噛殺した欠伸が、それでもこらえきれずに漏れ出た。
一緒に漏れ出た空気が白く色をつけて霧散してく。
もう四月の始まりだってのに、それでもやっぱりこんな朝早いと寒いのかも。
息が霧散した直後、軽く背筋に悪寒が走って。
開けっ放しにしてたウインドブレーカーの前ジッパーをジジジ、と上にあげた。
その音が、やたらと俺の耳についていく。

シン、と音一つしない早朝。

まだ朝焼けも出ていないぐらいの時間帯だ。
思って、足を踏み外さないようにゆっくりと空を仰ぎ見た。
視界一杯に広がるのはまだ夜って言っていいほどの、仄かに紫に染まる空。
おぼろげに白んだ月が出ていて、まるで清冽だ、と思った。
もちろん、人気なんて無い。
まだどんな生き物だってきっと眼を覚ましてない時間。
だからだろうな。
ひゅうひゅうっていう風の音とか、さっきのジッパーの音ですらやけに大きく聞こえた。

(普段はすんげー煩いからこんな音、聞こえないのに。)

心の中でつぶやいて、軽く眼を閉じる。
其れは時間にしたらきっと一瞬にしか過ぎなかったんだろうけれど、
それでも、いつもの神龍寺を思い浮かべるには十分な時間で。
真っ暗になった視界の中で、にぎやかに笑う仲間達を想像した。
否、っていうか、想像しなくても容易に思い出せるわけだけど。
だから。
余計に、今この瞬間が静か過ぎることが、不思議で堪らなかった。

「どうした?」
「ッ――――」
「一休?」

慌てて閉じてた眼をあける。
すると、眼に映ったのは俺よりも遥か下方に居る雲水さんの姿で。
うわ、何時の間にあんなに下に。
ついさっきまで俺の後ろを歩いていたはずの雲水さんだから、
きっと俺は立ち止まってしまったんだろうと思って。

「否、なんでもないっス。ただちょっと眠たくて。」

スンマセン、あっは。
軽く笑ってカツ、カツ、と一段一段を踏みしめる。
静かな空気、冷たく刺すような。
だから、俺が慌てて降りるその音ですらあたりにこだましてく。
眼下にあるのは、ただひたすらに伸びる長い長い正門前の階段。
その階段の下に、雲水さんが俺を見上げて立っていた。
苦笑した顔で、それでも笑って。

「まぁな、こんな時間から朝練に誘って悪かったとは思っているよ。」
「や、さすがにこんなに朝早いとは思ってなかったっスけど、でも。」
「でも?」
「でも、まぁ俺が雲水さんと一緒に朝練したいってきめたんで。」

カツカツ、カツン。
歴史のある石段で既に磨耗しきってるのか、
雲水さんと丁度同じ位置まで早く行くために一段飛ばしをしてたら。
雲水さんと同じ段にたどり着く直前でうっかり足を滑らせそうになって、
ウ、ワッ。
軽く声が漏れ出て、慌てて足を踏ん張った。
そりゃまだまだ正門をでたばっかりで、下には長々と階段が続いてるんだ。
其れなのにこんなトコロから転げ落ちたら怪我どころじゃすまないわけで。
…つか、それ以前に雲水さんまで巻き込んだら大変だ。

「いっきゅ、」
「ッ―――と、と。」

ととっとっと。
余計な言葉が口から漏れ出る。
くしくも足のもつれのタイミングが其れとバッチリあってて。
狭い階段だ、それに気をつけてただ頑張って足を踏ん張る。
すると、其れがおかしかったのか雲水さんがいきなり笑い出して。
ば、と足元から眼の前に視線を移す。

「…なんっスかーもうー。」
「否、やっぱりお前、面白いと思って、なッ…!」

バッチリ其処には口元を抑えて方で笑う雲水さんがいたわけで。
しかも視線を移した瞬間、バッチリ眼まであったし。
というか、笑うならおもっきり笑ってくださいよ雲水さん。
心のなかでおもったけれども、其れはいわないことにした。
ゲフン、ゲフ。
咳払いをしながら(結構わざとらしくだったから、其れがまた雲水さんのツボに入って)、
さっきのもつれで脱げかけたくつをつま先をトントンと鳴らして整える。
吐きなれた靴だったから一回鳴らすだけで其れは容易に俺の足にはまって。

「っていうか、見てて面白いのは雲水さんの方っスよー。」
ま!笑われキャラだってことは知ってますけどね?

カツンカツ、カツ。
一段、二段、さーん段。
数を数えて、踏み外さないように階段を、下りる。
すると、さっきまで見下げるようにしていた雲水さんが急に見上げる形になって。
普段の生活だとか、こう階段をのぼってるとあんまり気がつかないんだけれど。
見下げる形から急に見上げる形になると思い知らされる。
そういえば、雲水さんって俺よりも身長が高いんだっけ。
5cm…否、8cm?
それでも、定規で確認するよりも遥かに実感の無い差だけれど。
それでも、視線を少し上向きにしなくちゃいけないのは事実。

「何処がだ。何処がおもしろいって?」

ぐい、と近づく顔。
あんまり急に近づいたもんだから、俺は一瞬のけぞる形になったけれど。
それでももう一度のけぞる、なんてことになった今度こそ。
今度こそ本当に落ちかねないから。
ぐ、と鼻先が触れる程度まで近づいた顔を凝視して。
あえて。

「全部っスよ!」

手持ち無沙汰だって手を握って、思い切り階段を駆け下りた。
繋いだ手は、暖かかった。
昨日と、同じ様に。
あまりにも同じ様だったから、
笑っているのに。


笑っているのに、何故だか泣きたくなった。











『好きです。』










今でもはっきりと思い出せる。

やたら渇いた咽喉を鳴らして、飲み込めない唾液に咽喉が痛くて、
心臓はドクドクなるし、緊張のあまり手に汗かくし、
顔は熱い、声は震えて、それでも俺は。
それでも、其れは。
俺の、一世一代の大告白だった。


『貴方が、好きです。』


自分に負けたくないと思った。
自分に折れてしまわないように、負けたくないと思った。
言ってそれで逃げるんじゃなくて。
最後まで、逃げずに。
貴方の言葉を聞こうと、決めた。
だから、俺は最初から最後まで。

どんなにこの口が震えようとも、
どんなにこの咽喉が渇いていようとも、
どんなに、俺が無様な格好を晒していたと、しても。
それでも。
決して、貴方の視線から俺の視線をはずしはしない、と。
決めたんだ。
だから俺はずっと雲水さんの視線を凝視してた。

『すきです。』
貴方をどうこうしたいとおもうぐらいに。

付け足した言葉は、情けないぐらい震えてた。
だってそうだ、こんな感情普通じゃない。
否定する人間だって嫌悪する人間だっていくらでもいる。
それでも。

『雲水さん。』

俺は貴方の名前を呼んで其れでも自分の想いを告げた。
その先に何が待ってるか、だとか。
その言葉を告げたからどうなるか、とか。
そんなことは分からないけれど。
…きっと其処にあるのは拒絶の言葉だと俺は知ってた。
最初から諦めてた、けれど返事を聞かずに逃げ去るまねだけはしたくなかった。
脳内には既に「明日からどうしよう」とか「どうやって話し掛けよう」とか、
そんな、事後のことばっかり浮かんでいたんだけれども。

でも。

『…ああ。』
『?』
『いいぞ。』


貴方は、俺の想像を遥かに越えたことをその口から紡ぎだした。


『へ?』
『へ?じゃない。…付き合うか、といったんだよ。』

いつもみたいに眉根を寄せて笑って。
まるで困っているように俺に笑いかけて。
そんなだから、最初は俺を気遣ってそういってるのかと思った。
俺を馬鹿にしてるのか、とも思った。

『一休。』

でも貴方は真剣に俺の名前を呼んで。

『おいで。』

俺に、その手を差し出したから。


あ、と思うまもなく俺はその手を取っていた。
触れ合った瞬間、冷たい俺の指先に温かさが流れ込んできて。
冷えていた手に温度が刺すみたいだ、と思った。
痛んでいた心臓が、緩やかに加速する。
でも其れは切羽詰ったものじゃなくて、心地いい。
ぎゅ、と握った指先が反応を返して、俺は柔らかな力で掌を握り返された。
ぎゅむ、ぎゅ、きゅ。

あぁ、と感嘆が漏れる。

そうして、導かれるままに俺は雲水さんを抱きしめて。
何も抵抗せずに、ただあの人はされるがままに抱きしめ返してくれた。
言葉なんて要らなかった。
傍目から見たら気持ち悪い光景かも知れない。
けれど。
けれど、あんまりにもこの人は優しく柔らかく俺を抱きしめかえして。

消えちゃうんじゃないかと思った。
ずっと抱きしめていないと、消えてしまうかと思った。
そんな人間じゃない、雲水さんはだって強いから。
明確な輪郭を伴って俺の眼の前に立っているから。
何時だって。


…何時も、は。


だから、そんな風に消えてしまいそうだとか、儚いだとか、本当は思うはずもないのに。
なのに、なんで俺はこんな風に雲水さんが。
光に解けて消えてしまいそうだと、
ずっと抱きしめていなくちゃいけないと、
思っているんだろう、と。
夜で暗かった空なのに、まるで雲水さん自身が光って俺を照らすようだと。
思って。
おもわず咽喉を鳴らすと、雲水さんがだまってその腕の力を強くする。
だから、俺もこの腕に十分感触が残るように、
その感触を刻み付けるように、思い切り。
抱きしめかえして。

『手、握って寝てもいいですか。』

その夜、俺は雲水さんの手を握りながら布団に入った。
…そう、もちろん俺が雲水さんの手を握りながら寝るなんてできるはずもなくて。
望んだ人が其処に居る。
其れが嬉しくて堪らなくて、昨日は寝れなかったわけだ。
だから、やたらと欠伸がでる。…今日は。
でも、嬉しかったんだ。
だってずっと夢みてたことだった。
かなわないだろうな、と思ってたことだった。
其れが、いま現実として此処にあるんだから。
だから、俺はずっと瞼を閉じないで涼しげに瞼を伏せて浅く眠る雲水さんをみてたわけだけれど。
その瞬間、確かに俺は幸せだと、心がふわりと温かくなるのを感じたんだけど。



でも、一つだけ。
一つだけ、怖くて堪らないことがある。













其れは、貴方が俺のことを「好きだ」と言わなかったこと。














「こ、ら、一休、つまずいたらどうするつもりだッ!」
「つまずきませんよ!俺が身を呈してキャッチしますから!」
「はッ、冗談を!」
「あっは、冗談じゃないですって!」

あっははは、あっは!
笑いながら、それでも駆け足に階段をおりていく。
さすがに思い切りぐいとひっぱることはせずに、
ただ雲水さんも一緒に降りれるように促しただけで。
それでも結構な距離を下ってきたんだろう、いつのまにか。
気がつけば、もう少しで一番下、というところに差し掛かってた。

「ほら、もう一番下まで着ましたよ。」
「早かったな…。」
「えーと、階段ダッシュ何本でしたっけ?」

だから俺はその手を手放して。
カツン、カツン、確実にゆっくりと一段一段を降りて行った。
そしたら。
今まで俺の後ろを歩いてた雲水さんが、急にふらりと俺よりも先に階段を、おり始めた。
カツカツカツ、カツン。
まるであしを滑らせるようにして早足で階段を下りて、
そうして、ピタリととまった。



手放した手は、昨日とと同じ様に温かかった。
好きだ、といったときの微笑みは、いつもと同じように柔らかかった。



そう、いつもと同じように。
…いつもと、同じように。

「雲水さん?」













いつもって、何だ?















「うんす、」

名前を呼ぶ、
その呼応に応えるように雲水さんが振り返ろうとする、
そのためにまず肩を揺らす、
ゆっくりと頭がこっちを向く、
そうしてきっと貴方は、俺の方を向く、
…背中に、寮を背負った俺の方を、向く。

でも、きっと貴方は、





否。考えたら、だめだ。





貴方が俺のことを好きだと言わなかった理由だとか、
特別な相手には”いつも”なんてみせないんじゃないか、とか、
きっと貴方は俺を見ずにその更に向こうを見るんだろう、とか。
考えたら、だめだ。
いまはまだ。



「雲水さん。」



一段、二段、先にいる貴方の名前をもう一度呼ぶ。
同時、振り返る前に貴方の眼を両手で覆い隠して。
動きを止める、そうして貴方がこっちを見ないように。
そうして貴方が何も見ることの無いように。

「だめっスよ。」

俺の更にその向こうに居る誰かを見ることが無いように。



「駄目なんスよ、振り向いちゃ。」









鎖した視界を解き放って、そうして再び遮った。
俺の唇で俺の全てで、俺の全身全霊をかけて。

落す口付け、其れはあんなにも恋焦がれたものだったのに。
落す口付け、其れは生涯で初めてのものだったのに。

やたら泣きたくなって、情けなくて堪らなかった。




せめて今だけは夢、みさせてください。
俺、気がつかないフリしてますから。
せめて今だけは勘違い、させてください。
貴方も、気がついてないフリをしてるなら。



最初から、其れが偽りだったとしても。




20060404/はらっぱー
不調につき話の内容がグダグダですが。
阿←雲←一です。片思い上等!
矢印がとっても素敵ね!というのと、矢印無しの完全一雲を!
というのをコンセプトに書いてたので最初の辺りは両思いくさいです(笑
でも展開が唐突過ぎて本当読みにくいと思われますが…
ほら、貴方も一雲ってみませんか(笑/一雲への誘い)